« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月

2016年5月24日 (火)

カルチャー講座・・・己書(おのれしょ)

Cimg2318_2

今日は 月1度のカルチャー講座の「己書」教室に行ってきました。
いつもお世話になっているカルチャ―講座教室に「己書」を広げたいと言う先生が来て下さる事になり
4月から始まったのですが 同じ講座内のクレイクラフト「焼かない陶芸」教室の都合もあり 私は5月からの参加で今日が初めて・・・
同じ今日から参加の人が他2名あり 仲間がいてホッでした。

己書とは形にとらわれない自由な描写 筆ペンで味のある絵の様な温もりのある文字(読める絵)を描く書。
書道は基本となる文字がありますが、己書は書き方、書き順など条件にとらわれる事なく自分の心のままに描く書で 自分のオリジナルと言う事から己書と言うそうです
ただ1つあるとすれば丸みを意識する様にと言われました、それも左方に丸みを描く様にと 
それからの場合でいうと一画目の横棒とか最後の点など丸く書くのがコツとか
だからか、第1日目の今日は丸を描く事からはじまりました(笑)
3人同じ机に座りた だひたすら丸を描いたのですが先生いわく 其々に個性のある丸を描いているとの事
私、ただ丸を描いただけなのに褒められた

下右のA4の用紙にハガキサイズで縦と横に描き 手書きの落款があるのが先生のお手本です
それを頼りに練習し、最後に清書と言う事で本物のハガキに描いた己書初作品です。

文字で遊ぶ・・・習ってみたい事の1つでしたのでとても楽しかった 
次回のの教室が楽しみです(◎´∀`)ノ

Cimg2313Cimg2316

2016年5月10日 (火)

阿蘭陀西鶴

Cimg2214_2
題と 楽しそうに舞う表紙絵に魅かれ朝井まかての「阿蘭陀西鶴」図書館で借りてきた。
西鶴は俳人であり 浮世草子作者、芭蕉と同じ時代に生き 「お夏清十郎」 「八百屋お七」 「
樽屋おせん」 「おさん茂兵衛」 「おまん源五兵衛」の(好色五人女)や(好色一代男)を書いた人物
生活の為に書いた様なもので
好色生活の無情も盛衰えも全ては金銀ゆえである 西鶴の興味は銭金の魔力に深く傾いてゆくとある。

また西鶴自身全ての人間はおんなじや、身分の高い人、それに能や俳諧や立花や茶の湯の芸能人は別だが 普通の町人は金銀の豊かさが全てやないか
家柄や血筋なんかどうでもいい、金銀だけが町人の氏系図になるんやと・・・

たとえその人間が愚かしく浅ましい所為に落ちるのを知っていても、このがんじがらめの身分の世の中を解き放すのは金銀の力しかない
金の力でこの世に出来ぬものはなく、かなわないのは生と死位ではないか っと
銭が銭を生むこれが商いの世の定めであると 浪花根性丸だしで本を書きまくる姿は 俳人より小説家と言う本屋
しかし、お金の為とは言え
実話に基ずいた5つの話を 後世に残る 人形浄瑠璃や舞台で上演される作品に書きあげたのは技量と才能ゆえ・・・ 
凡人には計りしれない才覚(西鶴)があったのでしょう!!


創作に一切妥協しない傍迷惑な天才作家西鶴 芭蕉との確執 
娘と2人の奇妙な暮らしを盲目の娘あおいの目線で描かれていて
放浪三昧気ままに生きる父親に嫌悪感を抱き 頑なに心を閉ざしつづけるあおい
弟子や仲間には好き勝手をするのですが
娘には気がねして横眼で顔いろをうかがい機嫌をとる西鶴…それがまた苛立しくて背を向けるあおい
そのあたりの、盲目でありながら亡き母に変わり家事一般をこなすしっかり者の娘と父親との生活に悲壮感がなくていい
近所の左官から湿らせた壁土をもらい重箱に平らに詰め箸で書いた文字をなぞって教わるあたりは普通の親子
26歳の短い生涯を閉じる頃には、破天荒な父親の生きざまや 心根の優しさが理解出来
「おとうはんのお陰で私はすこぶる面白かったおおきに、さよなら」と
娘が自分の生きる甲斐であったと思い知らされ この世でたった独りきりになっても涙を流さなかった西鶴でしたが、その1年後に西鶴52歳で死亡、また1年後に芭蕉が51歳で死亡。

読み進むうち 7歳の時、脳溢血43歳で亡くなった実家の父親と重なってしまった
浪曲師の父は家を留守にする事が多く 家の事は祖父母と母に任せきりでそれこそ好き勝手に生きた人だった
お酒が好きでおまけに女好き 亡くなった後に呑み屋の借金とりが来たとか!!・・・ 
相手の女性が亡くなり母のもとに帰って来た時には
母が 「あ~これで良いお父さんになってくれる」 と思ったのもつかの間 まるで後を追う様に死んでしまったと後々よく嘆いたものです
西鶴はただ俳句にのめり込んだゆえの放蕩で酒ものまず女道楽も無かったようで父とはまるきり違うのですが
何故か憎めない所などが似ている様な気がするのです・・・
父を知る人は皆口をそろえていい人だったよと言う
呑むと朗らかで楽しい人だったと言う
私の記憶にも夏の盆踊りに真っ赤な褌1つでやぐらの上で大太鼓をたたいていた姿が目に浮かぶ
娘の私を連れて呑み屋に出かけ 丼鉢に並々と注いだドブロクを飲む父親をカウンターの端っこに座らせられ オレンジジュースをあてがわれ眺めていた事も
また、酔っぱらって帰ったあくる朝 布団に銀貨がばらまいたみたいに落ちていて我先にと兄弟で拾ったことなど
普通の父親では味わえなかったであろう事を記憶に残してくれたと思う 
だから、西鶴の娘あおいのように嫌ったりはしなかったけど
早く死んでしまったことを 年頃になって恨んだ事がある
何時かは絶対来る別れですが ちっと早かった・・・
それがトラウマになっているのか 連れ合いとの何時か来る別れが怖い
残るのもイヤ 残して逝くのもイヤ 死ぬ時は一緒がいい。

Cimg2225
                       もっと西鶴の事知りたくて井原西鶴も借りました(゚m゚*)

2016年5月 1日 (日)

すずめ

Photo_2
玄関入口にやたら枯れたワラゴミが落ちていて気になって仕方がなかったのですがやっとその理由が分かった・・・
玄関ひさしのトイにすずめが巣を作り始めたのです。
トイでは場所が悪い!!
セッセと巣作りの為
運んだのでしょ 後少しで水が漏れるのではないかと思うほど詰まっていたのには驚いた
綺麗に取りのぞき素人仕事でネットの切れ端をかけ応急処置をした
その後、様子を見ていたら必ずつがいで飛んで来て後の1羽は近くで見守っている様で やたらチュンチュンと騒がしく鳴く
アレはきっと 「大変大変巣が・・・・」 と会話をしているのではなかろうかと思う
貼られたネットの上で途方に暮れた様子のすずめを観察しながら 申し訳ない気持ちになるのですが 
こればっかりはだまって見逃すわけにもいかないのですずめが諦めるるまで暫らくこのままにしておきます。

そしたら今日の昼ごろ連れ合いが手招きで私を呼ぶではありませんか
何だろうと行ってみると前の道路に飛べないひな鳥がうずくまっていた・・・
人の気配に気が付くとトコトコッと歩いて逃げようとする
巣から落ちたのか どうしたのか分かりませんが 見た目では怪我とかは見当たらない
そ~っと近寄りズームでパチリ
その時電線の上に親鳥がいたのでしょう チュンチュンと鳴き叫ぶ声が・・・
きっと心配で見守っていたのだと思いますが
親子の情愛はみな同じなのですね
後で見に行ったらもう姿は無かった
何事もなく飛び立っていったのならいいのですが、カラスや猫にどうにかされたかも・・・ 
自然界の弱肉強食の掟 こればっかりは仕方がないですね

二羽のすずめが我が家で見せてくれた一コマでした

Cimg2312_2

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

無料ブログはココログ